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ピアノソナタ第12番 変イ長調 作品26は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲したピアノソナタ。第3楽章に葬送行進曲を配しているため『葬送』と通称される。 == 概要 == 19世紀を迎える頃、ベートーヴェンは極めて順調な創作活動を行っていた。彼は友人のフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーに次のように報告している。「どの作品にも当てにできる出版社が6つか7つあります。それになんといっても、私が希望するのであれば彼らはもはや価格を交渉したりしません。言い値で買い取ってくれるのです。私の置かれた状況がいかに喜ばしいものかおわかりでしょう。」また、こうも記している。「音楽漬けの毎日で、ひとつを書き終らぬうちにもう次の作品に着手しています。今の作曲ペースでは3つか4つの曲を同時に書いていることもしばしばです〔。」一方で聴覚の異常は回復の兆しを見せず、ヴァイオリニストのカール・アメンダへの書簡からは不安な心情が窺われる。「なんとかしようとを決心したのは言うまでもありません。しかし、どうすればいいのでしょうか〔。」 曲は1801年に完成している。グスタフ・ノッテボームによると、第1楽章は1795年から1796年にかけて書かれたロ短調のスケッチを原案としており、また第4楽章は当初このソナタの構想とは無関係であった。それらが1800年から独立して書き進められた結果、翌年になってひとつのソナタとしてまとめられるに至ったようである。ピアノソナタではありながらソナタ形式の楽章をひとつも含まない組曲風の構成となっていることには、こうした成立の経緯が大きく関係するものと推察される。 全曲の核となるのが圧巻の第3楽章「ある英雄の死を悼む葬送行進曲」である。本作の中でも特に評価が高く、パウル・ベッカーは他の楽章を重要視しない一方でこの楽章を「偉大な作品」と称賛している。フレデリック・ショパンはベートーヴェンの曲中でもこのソナタだけをとくに好んでおり、レパートリーに取り入れ公の場で演奏することもあった〔。同じく第3楽章に有名な葬送行進曲を持つショパンのピアノソナタ第2番には本作の影響があるものと考えられている〔。ベートーヴェン自身が葬送行進曲を書いたのはフェルディナンド・パエールのオペラ『アキレス』に触発されたからであるとフェルディナント・リースは主張しているが、ノッテボームはこの説を否定している。1815年春、作曲者自身による管弦楽用編曲が行われて劇音楽『レオノーレ・プロハスカ』(WoO96)の第4曲に転用されたものの劇は上演されず仕舞いとなり、この編曲版が演奏されたのはベートーヴェンの葬儀であった〔。 楽譜は1802年3月にカッピから出版され、カール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵に献呈された。この曲は自筆譜の残されている最も古いピアノソナタである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノソナタ第12番 (ベートーヴェン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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